2003年2月小野忠夫さんの体に突然異変が生じた。
頻尿、残尿感が3ヶ月余り続いた。専門医の診察とPSA(前立腺特異抗原)検査を受けた。検査の結果、健康な人より異常に値が高かった。医師は前立腺がんの疑いがあるといった。
小野さんは「そんなはずはない。何かの間違いだ・・」と、ほかの病院でもPSA検査を受けた。しかし、PSA値は基準値の4、0を大きく上回り5、3まで上昇していた。病変部組織の生体検査の結果、不安が的中して悪性の腫瘍・・前立腺がんと宣告された。言葉では言い尽くせないショックを受け、「自分の人生もこれで終わりか」と思ったと、小野さんは述懐する。
小野忠夫さん(61)、昭和20年・1945年に旧満州で生まれ終戦を迎えた。技術者の父、義郎さんは昭和25年に大分市に引揚げてから、鋳物工場を営んだ。その後、大分市に進出した大手IC工場のコンピューター関係の設計・施工を委託されるなどして順調に業績を伸ばし、家族を支えた。
忠夫さんは大学を卒業して、東京の大手食品・医薬品メーカーに就職。東北地方を担当し営業の仕事をした。この時、青森で妻の直江さん、のちにブラジルに渡った義兄の杉浦正将さんと運命的な出会いを果たすのである。
忠夫さんは38歳の時、父親の工場を継ぐため、ふるさと大分に帰った。研究開発に熱心な父、義郎さんが大ヒット商品を生み出したのだ。水道水を20%節約できる画期的な節水システムを開発。忠夫さんは全国を駆け巡り高級ホテルなどに導入してもらい、販売実績を上げた。年間売り上げが10億円を超えた年もあったという。順風満帆に進んでいたが、先頭に立って売って歩いていた忠夫さんが過労で倒れて業績が落ち込んだ。この時以来、健康には注意してきたつもりだったが・・・忠夫さんは2003年2月に前立腺がんを発症した。
約45日間投薬を受けたが「微熱は続くし、脱力感はあるし、毎日が地獄のようだった」。そんな忠夫さんにブラジルの義兄の杉浦正将さんから電話があった。
「ブラジルにはガンに効くといわれるアマゾンのお茶とプロポリスがあるので飲まないか?」と。
プロポリスは以前ハチヤニと呼ばれていたが、今ではプロポリスで通用する。語源はギリシャ語で都市の前(プロ)にあって、都市(ポリス)を守るという意味。ミツバチが花や樹木の皮などからヤニを集めてきて、かみ続ける。ミツバチの酵素と混ぜ合わされて、薬効のある物質に変わっていく。ハチの巣はほとんど無菌の環境で、極わずかのバクテリアしかいない。それは、天然の抗生物質として、プロポリスが有効に働いているからだといわれている。
義兄の杉浦さんは東京の大学を卒業した後、ブラジルに移住。1977年、サンパウロ州スザノにプロポリス工場を建設した。ラパチョ印のプロポリスは最新のブラジル政府農務省規約である栄養成分表を表示している。そして農務省の厳しい食品製造検査をパスしたことを表すSIFの認定も受けている清潔な製造所。SIF取得には最低3年かかるという。
「病院での治療の効果も含め、3ヶ月に1回の検査でPSA値が基準値の4、0前後で安定してきた」。忠夫さんは杉浦さんに感謝している。青森で知り合った妻直江さんの兄がブラジルに渡り、プロポリスを扱っていたからこそ知ることができたのだと。
「今はすこぶる体調がいい」という小野忠夫さん(61)。森林浴のため山に登りたいと意欲を見せ、これからは義兄のブラジルの会社の日本総代理店、ラパチョ日本の代表者として、「日本人の健康と社会のお役に立ちたい」と明るく話してくれた。
ラパチョ日本 プロポリスのホームページ
取材/撮影/文 渡辺隆司 |